私は小さい時から入退院を繰り返していました。
そんな私は今まできちんとした付き合った人はいませんでした。
私は特にモテるタイプではなかったので、恋人を作るなんて夢の夢でした。
そんな私にも、恋人を作りたいと思う時期が来てしまいました。
そんなある日、「良いな!」と思う人に出会いました。
そんな時に出会いから別れまでの流れの話です。
出会いまで・・・
病名は、「脂肪萎縮症糖尿病」と言う名前ですが、小さい時からこの名前があるわけではなかったので、「糖尿病」という名で丸くされて、糖尿病の治療をしていました。
しかし、糖尿病の治療の「インシュリン療法」を小学校6年生から行っていましたが、なかなか効かなくなってきました。
高校生を卒業する頃になり、子供病院に居た私は大人の大きな病院に紹介され移動しようとしていた頃、京都にある大きな有名な病院の先生から治療の話をいただきました。
当時夢だった保育士になるために、苦労して入学した専門学校に行っていましたが、先生や家族と話し合いをして今後の事を決めました。
専門学校でしか学べないことが大きかったので、夢を諦める事にしました。
私は、親の前で2回目の涙を流しました。
しかし、身体の事を考えたら仕方のない決断だと思います。
そして、18歳の夏から一人で京都へ入院をしに行きました。
そこで同じ病気の人を初めてまず3人と出会いました。
その後半年は入院をしていました。
その後も3か月おきに入院をしていきました。
出会いから…
その後何回か入退院を続けていくと、その時はやってきました。
20歳の私は大人の病棟に入院をし、その中では若いグループで意中の相手も若いので、仲良くなるまでには時間はかかりませんでした。
しかし私からは話しかけられる性格ではなかったので、仲間の女子が先に仲良くなっていたので中に入り話せるようになりました。
入院中の出会いの良い所は、起きてから寝るまで一緒に居られる事です。
男子と女子で部屋は違うので、ある程度距離はありますが、同じ病棟なので何かあれば話しかけて話せます。
私は知らない地に来ているので、心の支えにもなっていました。
細かい事を聞くと相手に悪いと思い、話の中で少しずつ情報を得ていました。
何回か入院していましたが、3回ぐらい一緒になっていました。
連絡交換はしていたので、地元へ帰った後もたまに連絡をしあう仲にもなりました。
途中では、ある事件にも一緒に関わってしまったので、連絡を密に取り合いました。
しかし、この時が来てしまいました。
私の入院が必要なくなり、そこの病院へ行かなくて良くなってしまった事です。
直後に連絡をしても、連絡先が変わってしまい、連絡も取れなくなってしまいました。
そこで、私の片想いも終わりを迎えてしまいました。
まとめ
職場やネットでの出会いが有名ではありますが、病院での出会いも一つの出会いだと思います。
聞いた中では、看護婦さんと患者さんが付き合う事もあると聞いています。
しかし、私には遠距離恋愛と奥手と言うマイナスがあった事が問題だったと思います。
遠距離恋愛ではなく、地元の病院で出会うとまた違う結果だったのかも知れません。
しかし、その病院へ行っていた12年はとても楽しい時間にもなったり、良い思い出にもなりました。
その後も入院はあり、地元の病院へ行きますが、なかなか自分と近い年齢の患者さんはいません。
今度は親も狙っている看護婦さんを病院では狙わなければいけませんね。
患者と看護婦にはどうしても壁を感じてしまいます。
そこを頑張って挑んでいけるようになりたいとは思いますが。
今までの職場では、おばさまや結婚している人しかいなく、あのような環境は特別なんだと分かりました。
seiji著